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2014年5月26日 (月)

ルーツを求めて その3 ~ 山形の名将の足跡を探る

我が家のルーツを求めての旅 3日に入ります。

5月17日(土)/
昨日の興奮もあり、少し早く目が覚めました。
朝一番、ホテル近くの霞城公園でいとこと合流します。
仕事の合間を縫って市内を案内して頂きました。
ありがとうございます。

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昨日は天童織田藩に辿りつきましたが、いとこの言葉によれば、やはりこの山形地方を知るうえでこの人の存在は外すことができないようです。
それは鎌倉時代の後半からこの地区を繁栄に導いた名将・最上義光公。
山形市の観光情報で最上義光を改めて勉強です。↓
昨日行った天童の舞鶴山には天童藩が築いた天童城(舞鶴城)がありましたが、天正12年(1584)に最上義光の攻めにあい落城・廃城となっています。
現在は人間将棋で有名な舞鶴公園に舞鶴城跡と成っています。
何とも複雑な気持ちです。

ウィキペディア(天童城)によれば↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%AB%A5%E5%9F%8E

したがって文政13年(1830)に開城した天童織田藩とは直接つながらないものですが、天童の地名はここから由来するようです。

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<当時の面影を残す、霞城・二の丸東大手門 平成3年改築> 
また、最上義光は上山を攻めて領地にしています。
上山温泉街を抜けると当時の面影を残す上山城(別名:月岡城)が目に飛び込んできます。

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ウィキペディア(上山城)によれば↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%B1%B1%E5%9F%8E

元々、上山には天童氏最上氏庶流)の一門上山氏が城を持っていた。1508年伊達氏がこの城を攻め落とし、城主上山義房は滅亡。伊達家臣小簗川貞範がこの地に入った。その後、上山義房の子武衛義忠が城を奪還。義忠によって改めて築城された平山城が現在の上山城である。以後城主は武衛義節、そしてその子上山満兼と続く。この頃、天童氏は主家最上義光と次第に対立。
そして1580年、最上義光の攻めに合い落城しています。
今は外観が城郭風建築の郷土歴史資料館として昭和57年に再築されたものです。

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最上階の展望デッキからの眺望 蔵王連峰は生憎の雲に隠れています。

続いて、山寺を行ってみます。
しかし少し疲れてきました。足が痛い!
根本中道、山門前を通り過ぎ、立石寺本坊を外から見て下山してきました。
山門をくぐって行く、奥の院や大仏殿は次回の楽しみにとっておくことにします。
ここも最上義光公と密接な関係があるとのことなので、機会があればまた訪れてみたい。

明日は最上義光の甥にあたる 伊達政宗公を探ってみたいと思います。

↓山形の歴史が少し分かりかけて来ました!

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