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2014年5月22日 (木)

ルーツを求めて その2 ~ 先人達は幕末に翻弄

我が家のルーツを求めての旅の二日目に入ります

5月16日(金)/

昨夜は温泉と、歌人・齊藤茂吉の世界に浸りながら更けていきました。
そして、いよいよ核心に近づけるかな? そんな気分で目が覚めると、外はうっすら晴れ間が見えます。

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客室から見える街並みは歴史を感じます。
天気が良ければケーブルで蔵王の山を登るつもりでしたが、今日も雲が低いのでケーブル乗り場だけを見て我慢します。

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その後、親戚に直行です。
叔父・叔母・そして、いとこ達が迎えてくれました。久しぶりです。皆元気で何よりです。
沢山の御もてなしを頂き、ありがとうございます。

その後は、いとこ達と天童市を目指します。
いとこが事前に調べていてくれた、資料館に到着。

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[↑資料館で頂いたパンフレットです]

ここは幕末の天童や東村山郡の様子と移り変わり、人々の暮らしなどが展示されていました。
そして、この建物は明治11年の郡制が布かれたのに伴い、明治12年から郡役所として開庁していたものです。建物も貴重な文化財です。

資料によればここ天童は天童織田家と密接な関係にあり、天童織田家の歴史は、信長の二男信雄(のぶかつ)に始まります。

信長は本能寺の変により、49歳で世を去り、嫡男信忠もこのとき京都妙覚寺で自害。
嫡孫の秀信は関ヶ原の合戦後、高野山に入山して若くして世を去りました。
ここで嫡流の血は絶え、二男信雄系の「天童織田家」に受け継がれました。
信長の死後、豊臣・徳川の世になるにつれ、織田家は尾張・下野・大和・上野と国替させられました。
特に徳川幕府は織田家が再び台頭するのを怖れ、位は高く、縁高は低くと冷遇しました。
追い打ちをかけるように、「明和戦争」で藩士が倒幕に関与し、当時藩主の信邦が責任を問われ隠居させられました。
家督が弟信浮に移ると、上野国(現群馬県)小幡(おばた)から出羽高畠に国替えされた。
この時から天童は織田藩となるが、次の信美の時、居城(館)を高畠から天童(現田鶴町)へ移し天童織田藩となりました。
天童は奥州街道に沿って南北に細長い街並みを形成し、酒造家や旅籠などが多く、宿場町としてにぎわっていました。
それから、半世紀後には幕末を迎える。
1868年には明治新政府軍と会津藩・庄内藩討伐の戊辰(ぼしん)戦争へ巻き込まれて行きます。
その時庄内藩の反撃に合い天童の街は大半を消失してしまいます。
その後、新政府軍の勝利で明治を迎えるが、焼きだされた村々の復興は容易ではなかった様です。

このように決して豊かではなかったことが伺えます。
そして舞鶴山には織田信長公を”たけしいさおのかみ”として祀っている健勲神社があります。

また、先代が弔われている三宝寺も近くにあり、ここにも織田信長公のお墓がありました。

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この寺も戊辰戦争で消失してしまい、以前の檀家帳など先人を知る手がかりの資料は残っていないとのことでした。このことについては行く前から分かっていたのですが・・・

そして近所には祖父の生家が確認できました。事前に連絡していませんでしたので、尋ねることはやめましたが、場所まで確認することが出来て大満足です。

先人は幕末の頃、天童織田家を支えて同じ街で暮らしていたことが充分推測できます。

また、最初に寄った 郡役所に祖父の実兄が当時務めていたことも知ることが出来ました。

夕食はいとこ達と先人の話で盛り上がり、山形の郷土料理でお腹いっぱいに成りました。
ありがとうございます。

↓我が家のルーツ かなり核心に迫ることが出来ました!

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コメント

tuba姐さんへ
家系図見つかるなんて凄いですね
さぞお母さんも喜んでおられることでしょうね
羨ましいです。
こちら正確なものがないものですから、手探り状態です。
でも、少しずつですが分かりかけてきました。

投稿: けいあん | 2014年6月 4日 (水) 07時18分

PC検索で実家の家系図が出ました。
プリントアウトをして母に見せたところ、新潟県長岡市の資料館に書いてあるのと同じだって・・・!

語り部の母から、またまた話を聴くことに

けいあんさんのルーツをたどって、ご親戚の方々とお話が盛り上がった様子、熱いものを感じられます。
どんな風に生まれてきたのかを知るって、己を見直すいい機会かもしれませんね。

投稿: tuba姐 | 2014年6月 3日 (火) 23時55分

輝ジィ~ジ様
ありがとうございます。
家系図が残っているんですね。羨ましいです。
嫡男は実家を継ぎましたが、二男三男四男が揃って北海道に屯田兵としてきています。
やはり食い扶持が重要だったのでしょうね。
天童の祖先は最上家に仕えていたのか、天童織田家と共に尾張・大和国・小幡藩として移り住んだのかは全く推測の域を出ません。

投稿: けいあん | 2014年5月26日 (月) 19時00分

けいあんさま
こんにちは~
我が家は分家、本家も現在8代目 士族でなく、農民百姓。
北海道に住んでおられる土地柄かもしれませんが、
ルーツ探しワクワクさせられます。

投稿: 輝ジィ~ジ | 2014年5月26日 (月) 18時34分

ひげおやじさんへ
Commentありがとうございます
お断りもせずお邪魔しちゃいまして”すみません”(笑)
いやぁ~ めちゃくちゃ縁がありそうですね
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: けいあん | 2014年5月22日 (木) 18時17分

こんにちは。
家の直ぐ近くまで来ていたんですね。
因みに、斎藤茂吉の孫は、自分の同級生です(笑
続きを楽しみにしています(^o^)/

投稿: ひげおやじ | 2014年5月22日 (木) 16時14分

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